芸能

中森明菜 事務所役員が提案した幻の芸名とは?!

本名の「中森明菜」という名前が呼びにくいから、名前を変えたらどうかと事務所の「研音」が言い出した事があったそうです。

なぜこのようなことにになったのでしょうか?

理由を探ってみましょう。

最後までお付き合いお願いします。

も く じ

中森明菜の経歴やプロフィール

まずは中森明菜さんのプロフィールを見てみましょう!

出生名:中森 明菜

別名:AKINA、Miran:Miran

生誕: 1965年7月13日

学歴: 明治大学付属中野高等学校定時制中退

職業: 歌手、女優、アイドル

担当楽器: ボーカル

活動期間: 1982年 – 1989年、1990年 – 2010年、2014年 –

事務所: 研音→コレクション→コンティニュー→N.A.P.C→楽工房→FAITH(ファイス)

2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表していましたね。

2014年12月31日には4年3か月ぶりに芸能活動の復活しています。

中森明菜 幻の芸名とは?!

所属レコード会社、ワーナー・パイオニアの担当者も含め明菜の担当スタッフ全員が東京・赤坂の事務所に集まった。

事務所の役員が自らの意向として「こんな芸名はどうか」と黒板に書き出した。当時、明菜を担当していたワーナーの富岡信夫氏は振り返る。

「確か『森アスナ』と書いていました。中森明菜では呼びにくいからという理由でした。驚きましたよ。いきなり芸名にすると言われても現場が対応できないですから。さすがに反対しました。もちろん明菜本人もイヤだったと思います」

プロモーションで出遅れ、アーティスト名でゴタゴタしていては何も進まない。結局は明菜本人の反発もあったようで、本名の「中森明菜」で行くことになった。

「もちろん今になってみると笑い話のひとつ…になりますが」と富岡氏も苦笑いだ。しかしデビュー前のプロモーションでは苦戦を強いられた。

「特に芸能誌での露出展開に苦労しました」

富岡氏が今でも思い出すのは、芸能誌の記者とカメラマンをオーストラリアに招き、取材してもらう「苦肉の策」。

「何がなんでも明菜の存在をアピールしたかったことは確か。電通から出てきた企画でしたが、ワーナーとしても超強力新人だとアピールできると考えたんです。現地では水着姿の取材もOKしていました」

ワーナーは、洋楽の宣伝費も明菜のプロモーションに注ぎ込み総額1億円もの巨額の予算でプロジェクトを立ち上げた。が、芸能誌の反応は鈍かった。

「何度も交渉しましたが、記者やカメラマンまで出しても、明菜ではページを取れないと、ことごとく断られました」

中森明菜幻の水着写真集とは?!

最初で最後の水着写真集がありました。

富岡の思惑は完全に外れた。ただ、そんな中、「ぜひ取材したい」と積極的だったのが「近代映画」だった。同誌はもともとは邦画情報誌としてスタートしたが、その後、アイドル誌に転換した芸能誌だった。

そこで、富岡の判断でオーストラリアでの取材は取りやめ、「近代映画」の取材は、その後に米ロサンゼルスで予定していたジャケットとプロモーションビデオ撮影に同行して行うことに変更された。

「同誌は新人アイドルの取材に積極的でしたからね。他のやらないようなアイドルも取材していたように思う。そう言った意味でも明菜に対して興味を抱いていたのだと思います」(当時を知るアイドル誌の編集者)

「私が同行取材したわけではありませんが、ロサンゼルスで撮った写真は素晴らしかった。初々しい水着の写真だったことは今でも覚えています。そこで確か帰国後に沖縄でも追加撮影を行い、デビュー直後に急遽(きゅうきょ)、写真集にして発売することで了承してもらったのです。もっとも今のようなハードカバーの写真集ではなく、平とじの雑誌スタイルの簡単なものでした。1380円でしたが発売と同時に大反響で、バカ売れになりました。とにかく異常な盛り上がりで連日、重版重版で追いつかないほどでしたよ。最終的には30万部は超えたと思いますね。取材がウチだけだったことがラッキーだったのかもしれません。もちろん他誌の編集担当者は悔しがっていたとも聞きましたが…。いずれにしても明菜にとっては、最初で最後の水着写真集ということで、今でも“お宝写真集”のトップになっているはずです」

中森明菜 幻の芸名に世間の反応

  • 綺麗で大人びた印象と抜群の歌唱力で大好きでした。また歌っている姿を見せて欲しいです。
  • ツッパリキャラクター設定でも明菜ちゃんのシャイな感じが好きでした
    メンタル最強の聖子ちゃんと対照的で
    シニアになって復活して貰いたい
  • 明菜さんは芸能人になるには、シャイ過ぎたのですね。人柄は素晴らしいです。私生活でも
    ご苦労があって、大変だったと思います。
    デビュー時のツッバリキャラはご本人が一番嫌がっておりましたからね。
  • 少女Aや十戒のような男を寄せつけない感じの曲と、セカンドラブやトワイライトのような切ない女心を歌った曲
    デビュー当初は、これを交互にリリースしていましたね
    この2面性に惹かれてテレビに見入っていました
    当時は当たり前のように見ていましたが、今思えば曲の主人公を表情、メイク、髪型まで含めて演じ切った上、なおかつ歌唱力が付いてくるという稀代のエンターテイナーだったと思います
  • わたしと同じ歳なのにデビューした頃は大人っぽいのに可愛いひとだなぁという印象を持ちました。歌唱力もあり、何もかもが魅力的ですぐに大好きになりました。あのパイナップルみたいなポニーテールが好きで真似して登校していたのを懐かしく思います。
    公の場に出なくなってからは心配しております。明菜ちゃんには幸せでいて欲しいです。
  • 明菜ちゃんが全盛期の頃は中学生から高校生でしたが、「飾りじゃないのよ~」「ミ・アモーレ」「SAND BEIGE」「Fin」「AL-MAUJ」が特に好きでした。
    歌って踊る姿が美しく、未だにカーステレオで聴いてますが、明菜ちゃんはビジュアルで観た方が絶対にいいですね。
    あの頃が懐かしい。
    テレビに出なくなって、余計にテレビがつまらなくなった。
    デビュー直後はちょっと記憶にないのでファン歴37年くらいですが、未だに色褪せない。
    明菜ちゃん今でも大好きです!
  • 当時を思い出すと、82年組の中でもかなり出遅れた感はありました。前評判倒れでこのまま終わるかなと思いきや少女Aからの快進撃は凄まじかったですね。ちょっと変わった名前が逆に効を奏したのかも
  • デビューしてすぐと絶頂期に数回コンサートを観に行った事がある。
    歌のうまさは言うまでもないけど、TVと違ってものすごく明るくて、ずっと笑顔だったのを思い出しました。

まとめ

もし中森明菜に芸名が付いていたら売れていたのでしょうか?

気になるところですね。

最後までお読み頂き有難う御座いました。